日記

親知らず抜歯6日後。

腫れはやはり抜歯2、3日後がピークで、その後だんだん引いていき、今はほとんど感じない。 痛みも食事の時以外は全く感じないと言っていい。食事中は少しだけ痛いが、片側だけでかむようなことはもう必要なくなった。 歯みがき中に多少さわっても出血する
日記

親知らず抜歯3日後。

なんとなく痛い、という状態は変わらず。痛みについては当日から、良くも悪くもなっていないような気がする。ほとんど痛くないとはいえ、よくなっていく実感がないのは多少ストレスである。 腫れは2日後の時点がピークだった。それでもよーく見ると抜いた付
日記

親知らず抜歯後の経過。翌日と2日後。

抜歯当日、寝る前にはほとんど痛みがなかったが、痛み止めが切れたのか多少痛みが出て深夜に目が覚める。といっても激痛では全然なく、少しだけうずく程度だった。眠れないほど痛むわけでもないのに、何故かなかなか寝付けなかった。 抜歯翌日の朝、やはり少
日記

今日親知らずを抜きました

今日右下の親知らずを抜いた。 斜めに生えているので、となりの歯と接している部分に汚れがたまりやすく、掃除のしにくい状態だった。 腫れや痛みはなかったが、となりの歯が虫歯になったらもったいないし、汚れがたまった部分の骨が吸収されてしまうとかで
昔の食事を再現してみた

そばけもち(そばがき)を作ってみた。

「そばけもち」(そばがき)も冬の夜の日常食である。そば粉に水を加えながら火にかけて、少し固めに練りあげる。熱いところを、家によっては大根おろし醤油をつけたり、ねぎ味噌をつけたりして食べる。けもちのときには、じゃがいも、にんじん、ねぎ、などの
昔の食事を再現してみた

「こっけえ」を作ってみた。

昔は朝にご飯を2食分まとめて炊くところが全国的に多かった。残ったご飯は昼食にそのまま食べることもあったが、水や湯をかけたり、朝食の残りの味噌汁と一緒に煮て雑炊にしたりして食べることもあった。 昼にご飯が足りない時は味噌汁に小麦粉や米粉を水で
自炊

簡単でそこそこ栄養がある弁当の作り方。

毎日3食の食事をつくるのは大変です。とくに弁当は朝食と同時に準備する必要があるため、手間をかけない工夫をしなければとても続けられません。 僕は弁当は手間をかけずにできる範囲でそれなりの栄養を取る、という方針で作っています。野菜を何種類もとろ
昔の食事を再現してみた

大根かて飯と納豆汁を作ってみた。

岩手県ではかつて、農閑期である冬には大根を混ぜたご飯(大根かて飯)を食べて米や麦を節約し、農作業のある春から秋は麦飯を食べて高いエネルギーを得るという食習慣が行われていました。 なかでも紫波郡志和村(現紫波町)では米・もち粟・大根を混ぜたと
昔の食事を再現してみた

ひえろうすいをまた作った(徳島県那賀町の昔の食事を再現)

『聞き書 徳島の食事』を参考に大正のおわりから昭和のはじめにかけての徳島県木頭村(現那賀町)の冬の夕食を再現してみました。 本によると献立は ひえ飯味噌味のひえろうすい(ひえ・ずきいも・しいたけ・ねぶか・菜っぱ入り)干し大根の煮菜漬けだいこ
昔の食事を再現してみた

ひえろうすいを作った

『聞き書 徳島の食事』によると、ひえろうすいとは徳島県で食べられていたひえ入りの味噌汁のようなもので、「ろうすい」とは「ぞうすい」のなまったものだそうです。 これを暑い夏以外は、夕飯に味噌汁がわりとしてよく食べたということです。 おもしろそ